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――まずはキャリアの原点についてお聞かせください。学生時代からITやシステムに明るかったのでしょうか。
相澤さん(以下、敬称略):いえ、まったくそんなことはありません。中高で理系の専攻はしていましたが、「勉強したくない」という理由でAO入試を選んで進学し、大学では経営学部でマーケティングを専攻していました。
就職活動においても、明確な「やりたいこと」があったわけではありません。「早く就活を終わらせたい」という考えで動き、ご縁があったワークスアプリケーションズに新卒で入社しました。配属されたのは、IT関連やエンジニアではなく、営業職です。

株式会社ATOMica コーポレート統括本部 IPO準備室 IPO推進グループ長/人事総務部 総務法務グループ長/情報セキュリティ部 コーポレートITグループ長 相澤 飛翔さん
――営業職としてキャリアをスタートし、そこからどのようにして「情シス」に関わるようになったのですか。
相澤:正直に言うと、営業という職種自体にはあまり興味が持てなかったんです。数字としての結果は出せていたのですが、案件を受注して数字を積み上げるというプロセスにモチベーションを見出せずにいました。
その一方、どうしても気になったのが社内の業務プロセスの非効率さで、その1つがファイルサーバーへのアクセスです。Google Workspaceのアカウントは全社的に付与されているのに、現場ではVPN接続をしてオンプレミスのサーバーにファイルを取りに行く運用が続いていました。そこに違和感を覚えたのが、情シス的な動きをするようになった最初のきっかけです。
――「使いにくい」で終わらせず、行動に移されたのが今のキャリアにつながっているのですね。
相澤:当時は「自分が楽をしたかった」というのが本音です(笑)。私が所属していた以外の営業部門の定例会にも入り込み、冒頭数分の時間をいただいて、実現したいことを伝えてGoogle Workspaceの活用を少しずつ浸透させていきました。
仕組みを改善した例としては、Salesforceの活用もあります。当時、Salesforceは導入されていたものの、活用は個人の裁量に任されていた部分が大きく、マネジメントするために「目標に対して進捗はどうなのか」など聞きながら集めていたんです。可視化して把握しやすい状況をつくるため、汎用的なダッシュボードを作成し、活用してもらえるよう説得していきました。結果として、営業組織で標準的な運用になりました。
――ビットキーへの転職はどのような経緯だったのでしょうか。
相澤:ビットキーは、ワークスアプリケーションズ時代の先輩方が立ち上げた会社でした。まだ創業初年度で、採用もリファラル中心。江尻(祐樹)さん(現Dress Code代表取締役CEO)が中心となって創業しており、「色々、何でもやりたい!」と伝えて入社しました。
最初の仕事は、宮崎県でのCS立ち上げでした。その後は東京での業務に戻り、ハードウエアエンジニアとして製品開発に携わり、その中ではOEM開発や、取扱説明書の製作もしています。現状の職域にとらわれず、「求められたものは何でもやる」という姿勢で働いていました。
――担当領域が次々と変わることに対して、不安などはなかったのでしょうか。
相澤:当時の私は、キャリアに自信がありませんでした。欠落感があり、それを埋めるためにさまざまな実務に取り組み、出来ることを継ぎ足していきたいという思いがありました。具体的に形に残る成果や「これを成し遂げた」という確かな手触りが自信につながると考え、資格取得にも積極的に取り組みました。
この「自信のなさ」が最大の原動力となったのがビットキー時代です。先に挙げた業務に加え、製品導入チームの収益改善、ECサイトの大規模リニューアル、BizDevなど多岐にわたる役割を経験しました。その結果として、私は特定の分野に留まらない、広範囲をカバーできる「何でも屋」というスキルセットを築くことができたのです。
――資格取得にも積極的なんですね。
相澤:自分の成果やスキルが第三者から認められるものとして、いい指標だなと思っています。
例えば、防火管理関連の資格を取得しているのですが、これは「誰かが取る必要がある」という会社の事情があり、「自分が取ります」と手を上げました。他にも産業カウンセラーの資格は、ビットキーからATOMicaに転職するタイミングで、人への関わり方を体系的に学びたいという思いが強くなったことがきっかけです。
――次にATOMicaを選ばれた理由と業務内容を教えてください。
相澤:ビットキーに3年ほど勤めたタイミングで、「文化醸成を含めた、人と関わる仕事をやりたい」という思いが強くなり、それを実現できるATOMicaを選びました。最初の仕事は評価制度づくりでした。全国の各拠点を回り、スタッフ全員に対面で評価フィードバックを行うなど、人に関わる仕事が続きました。
それらを進めるうちに業務の中心がPM業務に寄っていき、自分が伸ばしたい領域と少し違うと感じ始めた頃、コーポレート部門から「手伝ってほしい」と声がかかりました。それが情シスキャリアの入口です。
――情シスの立ち上げはどのようにスタートしたのでしょうか。
相澤:ATOMicaではもともと情シスをアウトソーシングしていましたが、組織拡大に伴い内製化が必要になってきていました。情シス経験はゼロでしたが、伴走してくれていた外部パートナーから学びながら、情シス一年生としてキャッチアップし続ける日々でした。その経験があり、次のDress Codeでは完全にゼロから情シスの立ち上げを担うことができました。

「情シスキャリアのスタートでは、情シスSlackをはじめとしたコミュニティに、すごく助けられた」と語る。現在は、BTCONJPのCore Staffとして運営をサポートしている。
――続いて、Dress Codeへ参画した経緯を教えてください。
相澤:当時、情シスのグループ長の立場でしたが、キャリアをどこに伸ばすべきか悩んでいました。情シスキャリアの王道を歩むなら、CISOやテック領域に寄っていくのだと思いますが、私には技術を極めたいという思いはありませんでした。そんなとき、「Dress Codeに創業メンバーとして入らないか」と声をかけてもらいました。
Dress Codeのプロダクトは、HRや採用、備品管理などを統一されたデータベース上に乗せるという思想を持っていて、「これは情シスが必要としているプロダクトだ」と共感しました。また、江尻さんとの関係性もあって「何でもやっていい」と任せてもらえる環境も魅力でした。PM業の側面もありつつ、コーポレートにも関われ、さらに経験を広げていけると思って入社を決めました。
――入社後はどのような業務に携わったのですか。
相澤:入社後の大きなミッションは、 ISMS認証とSOC2レポートの取得でした。Dress Codeは東南アジアを含む海外市場にも展開しており、大企業に採用してもらうには、両資格の取得が必要になっていたのです。
――その後、オフィス移転があったと伺いました。
相澤:はい。ISMSの審査が終わった直後くらいに「来月の頭に移転するよ」と突然言われて(笑)。移転までの期間は残り1カ月を切っていました。移転の経験がなかったので、ChatGPTに「オフィス移転でやるべきことを教えて」と聞くところから始めました。
正社員のコーポレートは私ひとり。ネットワークやサーバーの設定は対応できましたが、それ以外に、法人登記の住所変更、中小機構の事業者番号の更新、郵便転送手続きなど、やったことのない作業ばかりでした。普通に考えたら全部大変なんですけど、誤解を恐れずに言うと、文化祭前みたいな感覚で、むしろ楽しさのほうが強かったですね。
――ATOMicaへ出戻りというキャリア選択をされた背景を聞かせてください。
相澤:以前ATOMicaへ在籍していたときは、情シスのグループ長ではあったものの、上には部長、本部長、役員がいて、意思決定がフェーズで分断されていました。そんな背景もあり、果たすべきことだけを果たす「雇われている」という心持ちでの働き方だったと思います。
先ほど触れたように、私はテックを極めるというより、「仕組みを整え、浸透させること」いわゆる内部統制のようなアプローチが好きで、その経験を積んできました。しかし、この領域の成果は見えづらく、「分かりやすい成果」がほしいと考えていました。そんな折に、ATOMicaから「IPOに向けて本腰を入れたいから良かったら戻ってこないか」という話を頂きました。IPOは、まさにその「分かりやすい成果」であり、自分のキャリアとしても一つの集大成になると思っています。
――そこから再参画につながったのですね。現在はどのような業務を担当されていますか。
相澤:情シスとしては、相談役のようなポジションで動いています。現場は、過去にタッグを組んでいたメンバー達がほぼ自走してやり切ってくれています。一方、総務と法務は、私が実務も担当しています。IPO準備室でも、証券会社とのやり取りや取締役会のオペレーションなど、必要な業務全般を担当しています。
――ここまでのキャリアを振り返って、どのように分析されていますか。
相澤:振り返ると、本当にバラバラの経験を積み重ねてきた感覚があります。営業やCS立ち上げでのクレーム対応、ハードウエアエンジニアとしての優先順位づけや意思決定判断などを通して、人に伝える力や緻密に考える力、PMスキルが磨かれていきました。
当時は「何でもやる」と全部引き受けるタイプでしたが、情シスを経験してからは物事の判断基準が明確になり、考え方が変わりました。
情シスには、True/Falseや優先順位付けの揺るがない基準や思想があるように感じます。上位要件がこうだから、下の要望は見送るといった判断ができる。これが自分にとてもフィットしました。いまは「全部やる」ではなく、自分が今やるべきことを選択するようになっています。
――今後の展望についてはどう考えていますか。
相澤:「社長になりたい」「大きな売り上げを取りたい」といった願望はありません。でも、これまで積んだ経験の集大成としてIPOを実現したい。その後は選択肢の幅を広げたいと思っています。IPOの中で仕事の幅を広げる、アドバイザーとしての携わり方をするといったキャリア的なものと、正社員や業務委託といった働き方の形態も含めた両軸で幅を広げていきたいです。その背景には、自分の子どもが小学生になったときに、送り迎えができないから習い事をさせてあげられないとか、金銭的理由や時間の都合など、親の事情で何かを諦めるといった状況をつくりたくないという思いもあります。
――最後に、情シスの仕事のやりがいや役割について、相澤さんはどのようにお考えですか。
情シスの仕事の魅力は、達成感を得られる機会の多さにあります。例えば、ツール導入などのプロジェクトでは、目標を一つひとつクリアしていく過程が非常に楽しく、まるでゲームのステージを進めているような感覚を味わえます。達成するたびに、自分が成長している実感を得られる点が、この仕事の好きなところです。
さらに、情シスは会社のインフラを支えるだけでなく、文化の醸成に深く関わる重要な役割を担っていると感じています。現代の企業運営において、情シスは欠かせない存在です。
また、特に近年感じているのは、「イエス・ノーをはっきり判断する」「優先順位を明確につける」「検索して解決する」といった情シス的な思考が組織全体に浸透することで、業務が圧倒的にスムーズに進むということです。
情シスは単なる職種ではなく、課題を検索して解決し、優先順位を整理し、論理的に物事を進めるという「ベースの考え方」に近いものだと思います。働き方の「スタイル」とも言えるでしょう。この情シスというスタイルが広がれば、企業はより活性化し、効率よく運営されるようになるはずです。
インタビューを通して見えてきたのは、相澤氏のキャリアを貫く 「仕組みを整え、浸透させる」 という姿勢だった。多岐にわたる経験を積み重ねてきた背景には、自ら仕事を取りに行き、成果で証明してきた一貫した行動力がある。その蓄積が「True/False」や「優先順位」という思考へと収束し、情シスを「スタイル」として捉える視点を形づくっていったのだろう。(情シスのじかん編集部)

相澤 飛翔 氏
株式会社ATOMica コーポレート統括本部 IPO準備室 IPO推進グループ長
人事総務部 総務法務グループ長/情報セキュリティ部 コーポレートITグループ長
営業としてキャリアを開始後、ビットキーでCS・ハードウエア・BizDevなど幅広い領域を担当。ATOMicaで情シス立ち上げを経験し、Dress CodeではISMS/SOC2取得やオフィス移転を推進。2025年よりATOMicaへ再参画し、IPO準備・内部統制・総務・情シス支援を横断的に担っている。
■株式会社ATOMicaについて
株式会社ATOMicaは、「頼り頼られる関係性を増やす。」をミッションに、自治体・企業・大学と連携し全国でソーシャルコワーキング®事業を展開する会社である。現在(2025年12月時点)、全国各地でコミュニティマネージャー職を募集している。
執筆:七瀬ユウ
新卒で大手Slerに入社し、基幹システムの開発・プロジェクトマネジメント業務に従事。WEB広告企業でセールスライターの経験を経て、2021年にWebライターとして独立。オウンドメディアのSEO記事制作や、SNS運用代行、Kindleプロデュースなどを担う。情シスのじかんでは企画立案から執筆、編集を担当。
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